2006年04月07日

燕来る(高齢化社会の明暗)

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水仙に日影薄れぬ石の陰

90歳新居を持つや燕来る

春日さす二間に憩う90歳


長寿社会、高齢化社会の明暗は実際は様々である。団塊の世代が退職して20年後には介護する人が500万人になとか信じられない社会になるのだ。この明暗がくっきりと現れたのが認知症になる人とならない人の差なのである。一方は廃人のようになってしまうかもしれないし一方は認知症ならなければ高齢でもさほど問題ないのである。正常であるだけで80以上になると勝ち組であり長寿社会をそれなりに楽しむことができるのだ。90以上の人が百万人というのも信じられない数である。そして百歳になると認知症になる人が非常に少ないのはやはり百歳まで生きる人はどこか違うとなるのだ。百歳になる前に普通はなんらか病気とかになり死んでいる人が多いということである。

90歳で新居というかアパ−トに住み携帯をもって連絡しているというのも時代なのか、まだ携帯を音声だけでもやれるからいい、認知症の人は携帯電話は操作できないからだ。90歳でもアパ−トで一人暮らししている人はいる。アパ−トであれ一人暮らしでも近くに世話する家族が住んで頻繁に行き来していると一人暮らしとはいえないのだ。オカズを運んでさめない距離にあるからだ。だから別に一人暮らしはそんなに悪いことではなかった。ただ近くに世話する家族がいない一人暮らしはだめである。これは頻繁に行き来するのとは違い孤立してしまうし安心感もないからである。

ともかく我が家の特殊な家庭事情で90歳でアパ−ト暮らしというのも長寿時代の一つの事例であった。90で始めてアパ−トの一人暮らしのような初体験すること自体ありえないからだ。そういう環境の変化にも耐えられないからだ。ただオカズのさめない距離にあり頻繁に行き来しているからできたともいえる。

燕が来た、新しい部屋には住居には新しいものが生まれることがわかった。新しく移り住むことはみんな悪いことではない、人間の住む場所はその人の性格を決めるくらい大きな影響を及ぼす、どうも自分の住んでいる場所はなんか陰気な感じがするがかえってそこは住環境では良かった。たいして離れていなくてもそう感じたのである。なにかここより日当たりが良く明るい感じがしたのである。まあ、最悪だと思ったがそのなかにもいいこともあったということである。人間悪いことばかりはないようである。最悪の中にもいいことが生じたというのも不思議であった。認知症についていろいろ書いてきたが芸術も生活とともにあり生活を反映したものであることがこれでわかる。生活自体が変わると芸術も表現も変わってしまうといことであり新たな表現もそこに生まれるのだ。住む場所を変えただけでその人の芸術の大きな変化が生じる。だから旅すると全く違った環境になるので必ず刺激を受けるからいいのである。ただ今や一日も留守にできなくなり旅もできないというのが一番辛い、こんなことになるとは夢にも思わなかったからだ。

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