2006年05月27日

NHK教育ETVワイドともに生きる (認知症の人が語る番組)を見て

NHKの認知症の番組は認知症は誤解されやすいだろう。なんだ認知症なんかあんなものか楽しいじゃないかとかなってしまう。どうしてもテレビ映像では悲惨な姿を写せないことに問題がある。でも前に生放送で口もぐもぐしていた女性をだしていたのは驚いた。一目見ておかしな顔しているのは悲惨である。今回の番組では若年性認知症の問題が多かった。これは老人の認知症とは症状はにていても違う、つまり認知症でもこれはいろいろあるから一様に語れないんだ

キチキチ細かく正確にやる几帳面な男性がなんかおおらかな女性の認知症の人がきらっていた、認知症になると整理できないからずぼらな方がいいのかとなる。自分はあまりにもずぼらだから整理されていなくても気にならない、だから認知症の人にあっているのか?それからやることが遅くても気にならない、今は二人だから別に家族のペ−スにあわせることもないから家ではのんびりやれるのだ。失敗しても誰も叱責する人もいないのである。それにしても主人とスペインまで旅行に行くことができるのには驚いた。ええ、海外旅行に認知症でも行けるのかと知らない人はどこが病気だとなるだろう。これは認知症という病気を誤解させられる。

みのもんたと北海道の町長の認知症は悲惨な現状を伝えていた。小さな町だとそもそも認知症をサポ−トする体制などないのだ。自分もそうだから苦しい。一人で重症の認知症に向き合うのはできない、家族が多かったりいろいろサポ−トがないとできないのは確かである。みのもんたが昔はボケとけなしながら地域でこうした障害者を受け入れる場があったというのは本当なのだろう。つまり前にも述べたが認知症として隔離分離して施設に収容するのではなく人間としてあたたかく受け入れる社会が必要なのだ。それが核家族とか地域の崩壊とかで喪失した。一方で国では施設でめんどうみきれないから在宅介護に方針を変えたがこれもまた矛盾している。つまり大家族も地域の連帯も失われた世界でどうしてそれができるのか?この介護の問題はあまりにも数がふえてくることにあるのだ。重症になったら一人の認知症に三人の介護者が必要だとなると一体それだけの支出を誰がはらうのかとなる。介護は生産的仕事ではないから国も積極的にならないだろう。とするとなんらかのボランティア的協力が必要なのである。それを担うのが退職する団塊の世代というのもわかる。

認知症とか介護については問題があまりに深刻なので当事者以外の語ることは訴えない、自分も当事者になったからこそどうしたらいいんだと毎日悩み模索してきた。グル−プホ−ムが実は家族で認知症、痴呆老人をかかえた家族がはじめたというのはわかる。認知症をかかえると家庭自体が家族ではなく病棟みたくなってしまうからだ。家族として安らぐ場所ではなく常に病人を気づかう病院のようになってしまうからだ。この世の中なんでも当事者にならない限り人の苦しみにかかわることができないことがわかった。堀田氏とかの言うことはボランティアは偽善的なものになる。ただ家族で苦労した人がかかわれば別である。

認知症という病気が一体何なのか?これを知ること自体直接かかわりない人が知ることはむずかしい。そもそも特養につとめる人自体差別、偏見があるようにみのもんたが病院の処置がひどすぎたとか言っていたのはこの病気がわかりにくいためである。原因も何もわからないから対処方法もわからないのである。特に若年性認知症は対処方法がないみたいだ。老人性認知症はこれは高齢化によるのだから側にいる人が絶えず脳を覚醒させる補助をしていると多少もとに戻ったり脳が働き進行を遅らせる、とめることはできるのかもしれない、特に認知症で大事になるのは最も信頼できる補佐人の役割である。これがいないと認知症はすすんでしまうのかもしれない、若年性認知症ではそうした補佐人がいてもだめなみたいだ。脳自体が萎縮するとかになるからだめだとなる。母親は特別長男には思い入れがあるというのはわかる。長男でなくても誰かに特別思い入れがある人がいてその人のことは忘れないのかもしれない、そういう人の前では穏やかになるのかもしれない、でも若年性認知症はそうなっていないみたいだからこの病気はわからないし悲惨である。

プログの検索だとこのテレビ番組の感想が時間系列ですぐにアップされるから便利だ。2ちゃんねるでも番組ごとの感想を書いているがどうも福祉では2ちゃんねるはあまりやくにたたない、プログの方がずっと役に立った。今日は外国からのリンクがなくそれでも訪問者が100くらいあった。この計算は実際はわからない、プログはアクセスが多くなる。でも百人くらい今日来ているのか、だとしたらかなり自分のプログも認められてきたのか?プログはなかなか自分なりに加工できないので苦しい、そういう勉強もできなかった。余裕ができてくればプログもいろいろできるようだ。これも理解するのもめんどうなことがある。だからまだプログというのは十分に利用できていないのだ。
この記事へのコメント

認知症であれ介護自体が非生産的なものだから福祉介護士のひどい仕事の割りには月給が安い
ただ福祉で学ぶものは熾烈な競争社会では学べないものがある。介護になると家族自体協力しないとやれないし家族だけでもやれなくなりどうしても協力して生きるという協力ということが自分にも要求され他人にも要求されるのだ

これはどうも利益だけを追求する世界とは違うからどうしても利潤追求の会社経営とは違ってくるのだ。相いれないのだ。だから退職して利益とあまりかかわらない団塊の世代などが向いているというのもわかる
Posted by 老鶯 at 2006年05月27日 22:59
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