2006年06月04日

小話(ボケたばあさんと村の辻の石)

ugujis1.jpg

ボケたばあさんと村の辻の石


村の道の辻には大きな石がいつも一つありました。その石は何千年も動かない石です。何千年もここにあった石です。この村ができる前にもこの石はあったのです。道ができる前に石はあったのです。この石はおじいさんやおばあさんが生きる前からもあったんです。この石は動くことなくここにあったのです。今日も畑を耕したおじいさんがこの石に座り休んでいました。そして嘆いていました。
「なんだか世の中そうぞうしい、毎日ブ−ブ−と車が行き来してのんびりしていられねえ、せちがねえ世の中になった、昔はここでオレの親父はプカプカとキセルをふかして一服したもんだぜ、オレもまたこの変わらぬ石に座り休んでいる、この石はいつもここに変わらずあったんだ、だからここに座ると落ち着くんだよ」

その石には近くの流れの音がひびいたり風がそよいだり海の香りや菜の花の匂いなどがしてくるいい場所にあったのです。昔はのんびりと水車の回る音などもしていました。鶯ものどかに鳴いていました。
そこにボケてしまったおばあさんが歩いてきました。ボケたというのはひどい物忘れのことでこれは明らかな病気でした。今日が何日かも何曜日かもわからないのです。行商の魚屋さんがきて買った魚を冷蔵庫に入れていても忘れてしまいます。風呂に入ったことも忘れてしまうので毎日今日は風呂に入るかと息子や娘に言ったたりします。何度も同じことを聞いたりします。年とればみんな物忘れするのですがこの物忘れ今したことをすっかり忘れてしまうひどい物忘れなのです。物忘れというより今が記憶できなくなった脳の病気なのです。だから漢字が書けなくなったり簡単な計算ができなくなったりします。


このボケのばあさんが村の辻の石のあるところに来ました。
「ここに石があったことは覚えている、この石は子供のときからあったから知っている、この村だってかなり変わってしまった、知り合いも死んだり若い人が多くなりわからなくなった、でもこの石はず−とここにあってかわらねえんだよ」
おばあさんはこの石どっかと腰下ろして休んでいました。
「ああ、この石は変わらずにここにあってここに座ると安心だ、落ち着くんだ、鶯がゆったりと鳴いているな、いい声だ モウモウ牛もないているやあ」
そこに村の人が通りかかりました。
「おばあさん 元気かい」
「ああ、なんとかな」
「忘れるなよ」
「なにをさ」
「最近忘れるかたがひどいと聞いたから、それも歳かな」
「オレは忘れねえよ」
「忘れたことを忘れることもあるんだよ」
「バカなそんなこととあるけぇ」
こんな冗談を言って知り合いの村の人は去ってゆきました。
そしてまた独り言を言っていました。
「忘れる、忘れるなとうるさいけどオレは忘れんよ、この石がここにあることは忘れることはない、いつも歩いていればここにこの石はある、こうしてこの石に腰かけていれば安心だ、落ち着くんだ、まわりが変わってもこの石は変わらんからな」
その石は村の辻に何百年もあり村ができる前からもあったのです。変わることなく村の道標のようにいつもあったのです。そこにおばあさんが来るとその石は語りかけるのです。
「おばあさん、物忘れがひどいようだがワシのことは忘れないべぇ、ワシはここに何百年もあったし動かないで変わらないからな、何百年もあればみんなワシのことは忘れねえよ、ワシは変わらずここに動かずあるから安心しなよ、おばあさんもワシは動いたり変わったりしないから安心してここに休めばいいよ・・・忘れることを心配することはないんだよ・・・」
こうして石とボケ老人は語りあっているように見えたのです。その石と老人は長い間こうして語り合って暮らしていたようですしその前の死んだ村の人々もこの石と語り合いその石で休み村はつづいてきたのです。ただ村にも車に乗る人がふえて前とはかなり変わってしまいました。でもこの石だけは動かずに変わらずにあったのです。だからこの石に座り休むと心落ち着くのでした。

モ−モ−モ−
ホ−ホケキョ
牛もないた
鶯もないた
村はのんびり
動かねえ変わらねぇのは
村の辻の石
ここに座れば落ち着くな
急ぐことはねえ
心配すんな
モ−モ−モ−
ホ−ホケキョ
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]