2013年12月10日

権利ばかり主張して感謝しない時代 (民主主義の弊害-津浪は神からの罰だった?)

 

権利ばかり主張して感謝しない時代

(民主主義の弊害-津浪は神からの罰だった?)

●人間はそんなに権利がそもそもあるものなの


現代は民主主義社会では常に権利が主張される。どんな人にも権利がある。人権も人としての権利がある。だから障害者だろうが生活保護者だろうが最低限の生活はする権利があると主張する。そして権利は平等だとなる。だから親の財産でも平等に分けるべきだとなり絶対にゆずらない、権利はrightのことである。何か正しいという根拠に基づいて権利がある。だから権利は最初は権理と名付けられていた。なにかしらreasonがあって権利がある。ただいくら権利があるといっても後進国ではでは生活保護の権利があるとデモになるかといえばならない、生活保護は豊かな国で保証される権利である。

つまり豊かでなければそんな権利はありえないのだ。乞食が恵みが足りないと怒り相手を恐喝するのともにている。ただ生活保護は今は高齢化社会での老人は別扱いだと思う。
いくら一生働いても公務員のように高い年金をもらえるとは限らないからその不平等を補うために生活保護もある。ただ若い内はやはり安易に生活保護になるのは問題だろう。


民主主義で権利だけ主張するようになったのは人間の欲望は全面的に認めるべきであり満たされるべきでありその権利があるということにもなっている。欲望を抑えるべきではない、それが欲望資本主義なのである。禁欲から修道院からはじまった資本主義が歯止めのない欲望資本主義になった。だから権利と欲望は必ず一体化しているのだ。
遺産を兄弟で分けるのが問題ある時がある。土地をもっていて兄弟で分ければ農業ができなくなることもある。でも権利を主張するから認められるからそこでかえって兄弟の和は破壊される。つまり人間の欲望は限りないから止めることができないから権利を認めればそうならざるをえない。


自分の場合でも遺産の問題でもめた。でもそれは二〇年以上前のことであり相手は時効になっていることも気付いていないのだ。殺人でも時効になっている。裁判に訴えるというとき、それは何の法律的権利もなくなっていた。でも相手はどうしても金が欲しいから権利を主張する。
こちらではそういうことではなく何かしてやろうとしても相手はそのことが当たり前であり何の感謝もしない、要するに当然もらえるものを権利を主張しているだけだとなる。
権利はあったにしても権利ばかり主張してお前は金だけをよこせとなるともう交際はできない。これは今の親子関係でも起きている。金だけをよこせばいい、感謝などはしない、なせならそれが子供の権利だからとなってしまう。
だからもう金をやらないことにした。またそうできない事情もあった。
福祉関係だからめんどうになるからだ。


何かこういうことは現代ではどこでも起きている。常に人は権利だけを主張する。
その権利はあらゆる欲望は満たされるべきだという権利なのである。
そんなこと果たして神が自然が許すものだろうか?
この地球の富は資源は人間のために利用するの権利がある。
人間が地球の主人だからともなる。
それが古代では最初は人間は自然の実りに対して感謝していた。食料でも何でもとれることに神に自然に感謝していた。それが一つの祭りになっていた。
するとこうした祭りは近代的ではない科学的ではないと否定されてきた。
神であれ自然であれ感謝することが意外と大事なことだった。


●相手に尽くしても感謝しない人が増えた


なぜなら魚一匹でもとれることに感謝する。それは神から与えられた贈り物のように感謝する。現代は例えば漁師でも農家の人でも神に自然に食料がとれたからと感謝しない。
魚でももっと多く多くとり売りたいとなる。食料でも野菜でも米でもみんな商品化している。売れれば得したとなり自然そのものに感謝することはない。買うものが無限にふえたということもある。だから自然にとれるものは自然の神に感謝するよりもっと多く取り多くのものを買いたいという欲望に変化したのである。


そういうことは一体神から見たらどうなるのか?
なぜ神はこれほどのものを与えているのになぜ人間は感謝しないのか?
ただ足りないもっと欲しい、もっと売って得をしたいとしか思わないのか?
漁業権者は漁業権ばかり主張して莫大な富を原発で電力会社から得た。
彼らが一匹の魚を得たことでどれだけ感謝したか?
彼らは電力会社に感謝していたのである。
自分たちにそういう権利があると心底思っていたからである。

人間-神-自然という関係ではなく、人間-人間の関係だとわかりやすい。


「患者が感謝の気持ちを示してくれなかった」 しゃべれない患者6人の骨を折った看護師女(26)供述 兵庫 (227)
http://r-2ch.com/t/newsplus/1268381885/


看護師が感謝しないと殺す事件もあった。これも一見異常に見えるが看護師という仕事がそれだけハードだから起きてくる。看護師とか介護士とかは直接人間と接するから余計感じるのだ。なぜこれだけ世話している尽くしているのに感謝がないのかとなる。
そういうことを自分も介護とかして感じた。
これは子供でも育てるのが大変だから親が思うこともあるだろう。
昔だったら子供は何であれ親に感謝して親にその恩を報いるべきだとなっていた。

これは神-自然と人間にあてはめると

「なぜこれだけ私(神)は人間に与えているのに人間は感謝しないのか
もう人間に与えるのは嫌だ、災いを与えてやろう」


何かそういう心境になるのがわかるのだ。ただいくら尽くそうと感謝を感じない人は感じないから強制などできない、でもそれを感じないことが神ー人間でも人間ー人間でもありうる。その時相手にこれだけ世話して尽くしているのに感謝もされないなら馬鹿らしいからやる気がないとか極端になると殺してやるまでなる。神にしても人間はただ自分たちの権利だとして欲望をみたすことだけを要求する。そんな人間の権利をすべてかなえられるか?となり神は怒り災いももたらすとも考えられる。


●津浪はやはり感謝もしない神の怒りだったのか?


つまり津浪というのがあまりにも大きな災害だからこれは何なのだと思い考えつづけてきた。小さな災害なら台風とかなら考えない、通常のことである。今回の津浪はあまりにも大きな災害でありそれが大きすぎるからこれは何なのだという疑問が消えないのである。
ただ人間社会でも尽くしても感謝されない、やる気がなくなるなど日常的に起きている。家族のなかでも妻が夫に尽くしても感謝しないとかこの逆も起きている。

自分はいろいろ矛盾もあったが家族には感謝している。やりたいことをやらしてくれたことなどで感謝している。だから介護も供養もしている。
親でもいろいろありただ毒だけの親も普通にいるから自分は矛盾した普通の家族でも自分にとっては良かったと今では思う。

ともかく現代は民主主義であれ資本主義であれ欲望の無限の権利を主張する。
あらゆることが「権利だ、権利だ、権利を勝ち取れ」となる時代である。

カルト宗教団体でも宗教も同じである。ただ自分たちの権利だけを欲望を得るために団体化する。そして欲望を権利を主張するたげである。それは様々な利権となっている。
それは仏教から神道から新興宗教はほとんどそうである。檀家なども戒名利権だとか京都なら観光利権だとか利権団体なのである。こうした利権団体は巨大化して誰も批判できない。この辺では漁業者には漁業権があり原発から多額の補償金をもらっていたなと批判していない、今でもできないだろう。それはここだけではない社会すべてに通じているのだ。個人もそうであり団体もそうであり利権を主張するために団体化する。
利権というとき権利というとき何か正当な正義の実現だと思われる。実際は個々の欲望を実現するためのものでありその欲望がすべて正しいとはならないのだ。


その反面感謝することがない、そういう社会に人間に神が怒ったのが津浪だったとか思うようにもなる。
原発事故にしても人間の欲望から生れた。その欲望を神はかなえさてくれなかったのである。それは何かタブーを無視したのでありそれに神が怒ったのである。
だから今回の津浪はノアの方舟とか火を盗んだプロテウスの罰とかとにていると書いた。神の罰のような恐ろしいものが津浪であり原発事故だった。
プロトニウムの毒が二万年消えないとかもそれだけの恐ろしいものが消えずこの辺に残ってしまうものとなってしまったのである。

posted by 老鶯 at 01:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係
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