2006年06月16日

宣伝媒体となるものは信用できない(病気の原因の謎)

なぜ人は様々な病気に苦しめられるのか?その原因は何なのか、認知症の場合、MRIをとっても海馬すら写っていないし普通の老人と同じだという診断も馬鹿げている、検査すらなっていないのだ。脳血管性認知症だから血流をよくする薬をもらっただけである。アルツハイマ−とか認知症の原因は何なのか?
心臓が悪かったし高血圧であり大量の鼻血をだしたときは鼻血により脳梗塞を防いだのだから体の病気から脳の血管がつまり認知症になったとなる。これだと原因は体が悪いからであり環境がどうのこうのは関係なくなる。でも脳梗塞からすべての患者が認知症にはならない、ひどい脳梗塞の人で言語障害ある人も認知症になっていない不思議なのである。アルツハイマ−と認知症の共通しているのは極端な記憶障害になることである。これは海馬に障害が起きたことは推測できる。こうした体の病気から脳に障害が起きたとすれば環境因子はそれほど関係ないとなる。

問題なのは日頃の行いが悪いとか道徳的な心の問題が作用して病気になる、原因が体にあるのではなく日頃の行いとか心にあるとするとどうなるのか?先祖を供養しないからだととか悪い先祖霊がついているとかいろいろそういう方面のことを原因にする人もいる。宗教団体の人もそういうこといかにも得意そうに言う。でもその宗教団体でも同じように障害者をかかえているしそんな簡単に直らないし奇跡など起こっていないのだ。宗教団体がだしている新聞には悪いことなど書かれないのである。そこにも無数の無惨な不幸は毎日のように起きているのだ。だから不幸は宗教団体に入ったからといってすべて解決するわけでもいなのだ。なんらかの利益を受けられてもそこに入ったから病気にならないとはなりえないのだ。そしてどうしても教会でも宗教団体でも不治の病が治ったなどというのが簡単には信じられないのだ。医者とか病院でもそうである。それは宣伝の場合があり本当にどこまで直るのか正直に書いていないし調べようがないのだ。インタ−ネットのいい点は患者自身が語ることがあり患者をかかえた家族が語ることは信用できるのだ。その人は宗教団体とか医者とかの宣伝のために書いているのではないから信用できるのだ。そこには悲惨な事実が多いということは認知症はなかなか直らないしいいことはないというのが真実なのである。

自分が書いたことも宣伝のためにではない、突然天から降ってきた災いをありのままに書いたにすぎない。誰からも利益を受けるわけではない、誰からかどこかの団体からでも利益を受けるときそこは宣伝となり真実は隠されるのである。マスコミが全部信用できないのは必ず特定の団体の会社の宣伝をして利益を受けているからその会社の悪口は言えなくなるのだ。出版などもかなりの資金が必要だから団体の後押しがないとできないようになっている。だから文学賞でも実際は売るために作られるし書店はそうした宣伝の場所として大手出版社の出店と同じである。書店には勝手に本が置ける場所ではないからだ。書店ではガンが直るいかがわしい薬を売る会社の本を山積みにしたり大きな宗教団体の力とか働いているのだ。そういう本を信者買ったり書店に金をはらわれたりしてもいたのだ。書店はそういう宣伝のためにもあるのだ。一方インタ−ネットは一面全くそうした宣伝を必要とせず出せるのだ。資金がゼロでも出せるからそうなるのだ。だからかえってそこには今までに出ないマスコミや出版には出ない真実が出る場合があるのだ。そこにインタ−ネットの意義があるのだ。

つまり宣伝することは利益を受けるのだからその会社に対しては悪いことは書けない、中立性がなくなる。でも雑誌でもなんでも利益のために宣伝せねば生活がなりたたないから大きな組織の宣伝媒体となっている。真実の言論は宣伝媒体とならないことである。厳密な意味ならプログでも無料ではなく金をだしてやるべきである。プログさえそれを無料で提供している会社があるのだからその会社の宣伝媒体となっているともとれる。現実プログの著作権はライブドアにあるとかあったしニフティのバソコン通信時代の傲慢さは書き込みはニフティにも著作権があるなどと言っていたのである。さくらのプログはわずかであるが金を払っている有料のものだからこれは違っているのかもしれない、他でも有料のプログがあるとすると真実の言論を目指すなら有料にすべきなのである。有料といっても格安なのだから無料とたいして変わらないからだ。いづれにしろ宣伝媒体となる言論機関は不公平になる。それは資金の問題でマスコミでは不可能であるがインタ−ネットでは影響が微小でも可能になったのである。

ともかく認知症関係の日記で悲惨なことを書いていることには驚く、それは偽りではない、真実であることがショックだった。簡単に直ったとかいうのは真実ではありえない、この病気はそんな楽なものでないからみんな苦労しているのだ。その悲惨な現実と戦っていることこそ訴えるのであり簡単に宗教団体に入って直ったとか浄霊したら直ったとかは信じられないのだ。奇跡とは困難と戦っているとき無意識的に起きてくるのではないか?例えば野口英雄にしても黄熱病というバイ菌と研究しているうちに戦うことになり図らずもその黄熱病にかかり死ぬことになった。そして病気と戦った犠牲者として名を残すことになったのだ。つまり計らずもということが大事なのである。意図したというのではなく懸命に研究しているうちに犠牲になってしまった。病気に負けたとしても医者として名を残したのである。困難であれ病気であれ懸命にそれと戦うという中で奇跡が起きるのでありそうした壮絶なプロセスがないとしたら奇跡にも意味がないのだ。簡単に手をかざしたら直ったとか特別な薬で直ったというのも信じられないのである。一部のアルツハイマ−のアセリプトとかは臨床できいたことが証明されているから真実だとわかるがその他は確かめようもないのだから信用できないのである。

宣伝にたぶらかされた時代(NHKは宣伝するな)
http://www.musubu.jp/jijimondai30.htm#nhk