2006年07月11日

老人の狂気と認知症−病気にもいい面がある、、、


万軍の主の日が臨む
すべて誇る者と傲慢な者に
すべて高ぶる者に――彼らは低くされる――イザヤ2−12


病気になっていいことはないと思うのが普通である。でも病気も神の御意により人間が病気にされていることがあるのだ。病気になるとどんな人も弱者に転落する。誰かに頼らざるをえなくなる。どんなに強い人でもそうなるのだ。親というのも実際は権力を持っていた、子供を世話するものとして権力でいいなりにするということがある。子供にはなんの力もないから不満でも親の言いなりになるほかないことがかなりある。親戚の女性はその娘が実の娘でないということで疑心暗鬼になり娘を責めてよせつけず20年くらい離れて暮らしていたが深刻な病気になり入院して娘に世話になる他なくなった。そうなると今までのように娘に文句もいえないしただ世話になる弱い立場になる。弱い立場になったことで素直になるといういい面もある。人は自分が体力でも財力でももっていて強いと思うとき傲慢になるのだ。ところが病気になると弱者となり絶えずありがとうと世話する人に言わざるを得ない、こういうことは金持だった人とかなんであれ地位があったり強い人は苦手である。慈善でも他者を助けるのでも助ける人は強者であり助けられる人は弱者である。強者は慈善でも必ず傲慢になっているのだ。オレがオレの力で助けてやっているんだとなるからだ。しかしこの強者も一旦病気になると弱者に転落して助けられる方になる。そうなると傲慢な意識を持つことはできなくなるからそういう人にとって病気は精神的修養にもなる効用があるとなる。

人間の地位とか力は長い目で見ると必ず逆転している。百年単位でみれば金持ちで地位があり人に権勢を誇っていた家でも百年くらいでたいがい没落している。その家が栄えていたとき世話になっていた人が逆に裕福になり世話する方の立場になっているのだ。だから力があって世話する立場の人も必ず低くされることは間違いないから謙虚にならねばならない、国際関係で歴史でも常にその地位は変わってきた。バビロンとかエジプトは人類最古の地として栄えていたのだがその栄えの地は歴史とともに常に変遷してきた。富は一カ所に永続しないのが歴史なのだ。また一つの家に富が永続することはほとんどない。金は天下の回りものだというとき金は常に世界を回っているから一カ所にとどめることはできないのである。アメリカが強国であることは永遠にはありえない、この力は必ず逆転するのだ。

認知症になると信じられない弱者に転落する。知能が低下することは人間にとって致命的である。銀行に金があっても自分ではおろせないという信じられない弱者になる。銀行に十分に金があるといっても理解できないのである。だから一文なしで全部盗ったとなる。なぜ狂気的に盗った妄想になるのか、自分で金があってもそれが理解できなくなるから全部誰かが盗ったにすればいいからなのだ。これは認知症の場合、まるっきり忘れることからそれを自覚できないで盗ったということにもなるのだが一面にはすべて自分の物が盗られたという妄想におちいる。これは老人特有の喪失感からきているのだ。老人になると体力であれその家での役割であれ失われる。誰でも無力感に見舞われる。これはリア王なんかでも領土をもっていたからその領土を子供に分け与えるということで力を行使できた。ところが領土も奪われ無力化されるときついに狂気におちいってゆく。これは認知症でも老人には一般的に起こることであり認知症の場合は特別病気が加わって極端になるのだ。認知症にならなくても老人には喪失感、無力感からこうなりやすいのである。だから権力自体に固執してそれを力の源としていること自体狂気だという指摘もわかる。権力に誇るものは明らかに一面狂気と化しているのだ。宗教団体でもそうである。創価などでもただ権力だけを求めているから数とか財力とか社会的勢力のみを追い求めているからまさに狂気−ファシズムの世界である。

人間の権力とかあくなき欲を求める世界は狂気に通じていたのだ。リア王の狂気に通じていたのだ。だから権力を奪われたときリア王は狂気に陥ったし認知症の場合も力を権力を失うことで喪失感から盗ったとかの妄想となり狂気に陥ってゆくのだ。

しかし彼は心に高ぶり、かたくなになり、傲慢にふるまったので王位から退けられ、その光栄は奪われ、追われて世の人と離れ、その思いは野の獣のようになりその住まいはロバとともにあり牛のように草を食い、・・・・・・ダニエル5-18

権力を執拗に求める世界は狂気に通じているし現実この世界はみな宗教団体を筆頭としてそうなのだから狂気の世界であり狂気に向かっている。そして高ぶるものは低くされることは長い目でみれば必ずそうなる。今権勢を誇っていたものも必ず権勢を失う時がくる。この世の権力、権勢に固執していたものはリア王のような狂気に陥って終わる。個々の人間も最後は認知症のように狂気になり社会全体も狂気化して終わるのが定めなのだ。神の栄光ではなく結局この世の栄光を権力の権勢の栄光を求めているからそうなるのである。これは宗教を標榜するもの自体がそうなのだから狂気の世界に席巻されて終わるのが定めである。個々の老人はその終末のあがきであり社会全体も最後は権力、権勢を追い求め狂気と化して終わる。天国などこの世に実現しない認知症の重度患者のように地獄化して終わる。
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/957340
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック